(6)倫理的な<中>を考えた人々の国土世間

 外道も四句分別を使っていた・という事は、外道も<空>や<中>という事(悟り)を知って使っていた・という事でしょうか。

 そうではないでしょう。外道が<反省操作に拠る空や中>を知っていた・とは考えられません。然しそうでない空や中の考え方・詰り客観的な横型での空や中の考え方・は在った筈です。<ふくらみ>とか<からっぼ>と言えば日常言語的な物理的な概念で、詰り横型から来た概念でして、これを<シューニヤ=空>と言っていたそうですし、両極端を採らずに真中を採る、という様な<中>の思想は当然在った・と思います。日常用語に<空>とか<中>とかいう概念及び用語が無ければ、仏様もその独特な思想としての・反省判断(思量)としての<空>や<中>を説けない筈です。

 そういう世俗の用語や概念は当然・外道も知って居て、これを彼等なりに思想化はしていた。但し・それは論理的反省判断の空や中とは程遠かった・という事ですね。

 そういう事です。現に釈尊も当時流行っていた断見や常見に対して、断常中道と言って・非断非常の中道・を主張し、苦行・楽行の二辺―― 二者択一 ――を離れた不偏中正の教行道として不苦不楽の八正中道・詰り<八正道>を説いて居りますが、これらは必ずしも己心の反省操作に拠らなくても結構・誰にでも・横型としても理解出来るし、当時の弟子達も割合容易に解った筈です。

 容易に解った・という事は、詰り平面に横に並べた形・形式論理学的な形・で理解が届く範囲の事です。こういう発言は社会の中に広く日常的・常識的な空の意識・中の意識が在って、日常広く使われていた事を示唆しています。そういう土台が無いとこうした中道は説けない訳です。

 当時・世界には中国・インド・ギリシャの三大文化圏が在って、必然か偶然かは決め兼ねますが、孔子・釈尊・プラトンなどの聖賢が同時期に出現して、学問的(思想的)にも重要な一時期を成しています。それぞれに<中>の考えが在った様です。

 <中>という考えは、漠然としてはあちこちに在るのです。中国では古典である書経や易経に・<中>を重んじる思想・が出ている・そうです。特に易経では線の形として<中>の位置を占めるものが在り、他の線よりも優れた性格が与えられている・そうです。これが後世の哲学に影響して<中正>を重んずる思想に成ったり、中は過不足が無い所から倫理の<中庸>に成った・と言われます。

 ギリシャでも<中間存在>と言って、プラトンでは、何処で止るかを知って・正にそこで止る事を知る・至上の智慧・を重んじ、諸価値の質的比較を意味した・と言います。倫理概念な訳です。これを受継いだアリストテレスに依って更に研究され主張された・そうです。

 彼の説では、然るべき程度より過不足の有る悪徳に対して、徳は<中>を発見してこれを選ぶ・とし「確固とした習慣的な釣合が道徳善だから欲や気分を訓練せよ」と主張した・そうです。

 こうして中国でもギリシャでも共に・論理の方ではなくて倫理性の意味で語られています。インドの場合は、私は具体的には知りませんが、大体似たものなのでしょう。

 倫理の領域の方が<中>という事を考え易いのでしょうか。やはり生々しい実感が在りますから……。プラトンなどは戦争にも巻込まれていますが、それでもラジカリズム(過激主義)に反対な人が多いと倫理の<中>を立てたくなりますね。

 当時の社会の在り方にも依る・と思うのです。例えば戦争ばかりやっていたか・或いは貿易中心に仲良くやっていたか……。それに当時は、コミュニケーション詰り連繋が行届いた小さな社会で、そこに生れ育って物事を考えた当時の人々は、国土や社会から受ける感じからして現代人とは違っていたのでしょう。

 戦争を嫌った仲良し主義者が多いと<中>を考え保持したい・という事に成りましょう。平穏平和である事と倫理の<中>とは何処か心の奥で結付いている感じがします。

 自然環境を見ても、地球物理の最近の研究では「四千年前、サハラ砂漠は豊かな平地であった」事が明らかにされています。エーゲ海から地中海の辺り……特にエジプトは、昔はもっと気候が温順であった様ですが、二千五百年後の今は、どちらかと言うと熱帯でして、水辺でないと殆ど農業も成立たない様です。

 チグリス・ユーフラテス河辺りの・今では砂漠の様な地帯に、曽てどうして文明が発達したか・というと、食物が在ったからです。少なくとも・麦作や牧畜を中心に充分食えたのです。という事は、あの地帯は、昔は今程の砂漠ではなかった・という事でしょう。

 それが砂漠化したのは、気候の変化に由るばかりでなく、やたらに牧畜を流行らせて草食動物に草を皆食わせてしまった・燃料として木も切ってしまった・などの自然破壊がその要因の一つに成っている・と言う人も居ます。

 現在もアフリカの可成の地域で砂漠化が進行し、その要因の一つとして、増加した人間に依る自然破壊・が指摘されています。

 段々地球が南北から寒く成って来ると、それ迄暑すざた真中辺りは・熱帯から亜熱帯位に成って・植物の生育に具合が良くなる。そこで河辺を中心に人が集り、農業や牧畜をやっていた・のでしょう。

 そういう当時の自然環境、纏りの在る狭いコミユニティ(共同体)、情報といえば交易を通じて聞かされる・という状況というものが、<中>という事を倫理的に考え易い土壌に成った・という事でしょうか。

 してみると、国土世間の影響も大きいものだ・と思います。

 その倫理的な意味で考えられた<中>というものは、仏教の<中>そのものではないけれども、そういう方向へ繁るものが在った・という事でしょうか。

 何か一脈通ずるものが在る訳です。インドに於いても地域によってはそうした風潮が在り、仏法の<中>が出て来る下地に成った・という事でしょう。ネパール南部から北インド一帯に掛けては、その意味でも覚者が出現するのに相応しい国土だった・と思います。土着の釈迦族が・牧畜民ではなくて・農耕民だった事も仏出世に相応しかった・と思います。農耕民は調和・順応の思想の民です。


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