(5)六師の四論の用法は?

 外道の六派には有神論派も無神論派も居りました……詰り唯物論者も居りました。然し彼等はどちらであっても神か法かを中心として解脱を求めた修行者つまり宗教家ですから・反省的な態度を取っていた・と思われます。すると四句分別に就いても・反省的に縦型に使った人達も幾らかは居たのではないでしょうか。何しろ九十五・六派も居たのですから……。

 それはそうかも知れません。少数派の中には縦型に反省のオルガノンとして使った人も幾らかは居たかも知れません。然し居てもそれは一部であって、大勢を占めていた・とは思えません。然も思量として縦型反省のオルガノンだ・と自覚していたかどうか……この点が怪しいのです。

 現代の様に哲学としての<論理基礎論>が知られていれば明らかであったでしょうが、そうではない遥か昔の事ですから仕方が無いのです。無自覚の儘・縦横混合の儘・未分の儘に使って居た・としか思われません。今に残された文献上では、比量として・詰り・概念操作用の横型として使われた・と思われる例が圧倒的に多いのです。縦型の思量として用いた外道の例は、残された文献上では見当らない様です。

 今の話は大体判りますが、ではその実例はどうでしょうか。

 開目抄に「月氏の外道……其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果亦無果等云云」と在りますが、これは因果に就いて<有><無><亦有亦無>を適用していた実例です。これを調べてみると明らかに横型に使っているのです。詰り・事態を客観して分析し総合して概念操作をしているのです。

 では第一番目の因中有果論はどうですか。この論は・因と果とを等質と見る・そうですが……。

 これはサーンキヤ派(数論派)ですが、この派は六派中最も古く、精神と物質との二元論を立てた・そうです。初めはこの二元を統一する最高梵(アートマン)を認めていたのに、後では最高梵を認めず<無神論的二元論>に成った・そうです。この派では・根源的な<有>からの世界展開・を説いて・存在論的因果論を展開し、「原因の存在様式が変ったのが果である」としたそうです。予め将来が決った因存在など有得ません。梵は最高原理・宇宙創造神です。

 これが<因中有果論>(自己内原在論)と言われるものです。竜樹に「自よりも生ぜず」と論破された思想ですが、詰りは一種の科学論でして、明らかに客観の比量として因果を捉え、<有論>として四句分別の第一句・第一レンマに当る・と世間が見ていた様です。これからして、この派での四句分別は横型使用であったろう・と推測されます。

 では二番日の因中無果論の方はどうですか。この論は・因と果とを不等質と見る・そうですが……。

 ヴァイセーシカ派(勝論派)がそうです。この派は無神論で「法を知って解説すべき事」を説きました。この派の考えはアリストテレス哲学(その形而上学的存在論)と全く同一・と言って好い程似ていて、実体と属性とを説き、概念に対応する存在を皆・実在として取扱った・そうです。

 この派の因果論は<積集(しゃくじゅう)説>で、「結果は諸要素(因)の単なる集合ではない。全く新しい全体として生ずる。故に結果が消滅すれば因は無に帰する」と主張した・そうです。これでは業(カルマ)の継続(業相続)が説明出来ません。これが<因中無果論>(自己内無原在論)と呼ばれるものです。つまりは形而上学と科学との雑種の様なハーフ説です。ミーマーンサー派の<声常住論>に反対して<声無常論>を説いた・そうです。四句は横型使用でしょう。

 三番日の因中亦有果亦無果論は……。

 ミーマーンサー派がこれに当ります。勝論派同様・積集説なのに「結果としての全体は諸要素の集合であり、全体は部分の集合と同じだ」と説いた・そうです。奇妙な事に、後の仏教の有部アビダルマがこの説を採用している・との事です。考えが科学論ですから、この派の四句使用はやはり比量としての横型でしょう。アーリア以前の古来の土着思想が色濃く滲み出ています。

 この派では、諸神は認めるが最高神は認めない・とし、信仰的倫理的ダルマ(法)を説き、ダルマの考究と実践とに依って天に生ずる・として、言語を神聖視して、声は客観的実在であって先験的に常住する・という<声常住論>を説いた・そうです。行は苦行でしたので<苦行外道>と呼ばれました。出家苦行してカルマ(業)を止滅し解脱する……という派です。滅罪には苦を伴う・という思想です。梵はアーリア人の神なので古来の土着民は承認しませんでした。

 あと三派在りますが……。

 ヴェーダーンタ派はサーンキヤ派と同じく<因中有果>説。ニャーヤ派は勝論派と同じ<因中無果>説。ヨーガ派は本来は学説研究の派ではなく、ヨーガ行による修行専門の派でして、説は数論派説を借用していますから<因中有果>説・という事に成ります。

 してみると六派は形而上学的であったり科学的であったりですから、その四句分別の使用法は・考える為……詰り・叙述用の横型・と言えそうですね。推理推論の横型派……。

 大体そうではないか・と推測されるのです。ヴェーダーンタ派は「ブラーフマン(梵)を認識して解脱を得る」事を目指しましたが、時と共にやたらに分派して<不二一元>論・<不一不異>論・<制限不二>論・などと立てて相争った為に、迚も全体像は掴めません。

 ニャーヤ派は自然哲学と論理学とを内容とする学説の派で、後年、論理学研究に従事した人が沢山出ました。論理学的叙述・詰り概念操作に力を入れた派ですから、四句分別は・この派では横型に使われていた事が想像に難く有りません。

 ヨーガ派は・修行専門・という事でしたから、この派は四句分別とは殆ど関係も無さそうですが……

 ヨーガ派は面白い派でして、哲学説に独特のものが無く(これは土着農民の特徴)、他からの借用なので、解脱観は数論派と殆ど同じ・だそうです。ガンジス河で沐浴行をしたり・火に身体を炙ったり・木を礼拝したり・岩に身を投げたり――五体投地の様な事を岩の上で繰返すのでしょうか――という苦行行者はミーマーンサー派と並んで殆どこの派なのです。これが伝わって今の日本真言宗の護摩行やら・各宗の断食行やら・各種の荒行に成っています。

 何故そんな事をするのか・と言うと、<絶対者との合一実現を目指す>というのです。情量派な訳です。元々ヨーガ行とは、アーリア族侵入以前からインドに在った土着の行法で、<ヨーガ>という語は<心を引締める>という意味・だそうです。ですから心を引締めるべく<ものを言わない>という<阿呆(唖法)の行>などをするのです。この派に取っては四句分別も無用の長物だった・と思います。

 そうすると、歴史上では、仏教の方が六師各派へ大きな影響を与えたが、六師の説や行の方も何時の間にか仏教徒の方へ影響して・色々と忍込んで来た訳ですね。現に・釈尊が「荒行をしろの護摩を焚けの……」と言った事実は無いのに・今の各宗では・やっている……これは仏様の教えに反している・と言わざるを得ません。

 この事は、差支えの無い民族風習・例えば節分の豆撒き・などを許容する事とは全く違います。しては成らぬ事をしている事に成ります。四句分別に就いても、六師の中には有用派も居たし無用派もいたし、有用派も大体・横型に使っていた事がほぼ明らかです。

 話を元へ戻して四句分別を論じてみると、横型に叙述用として使うのならば既存の型の儘で好い訳です。これは仏法では<応用型>の使方に成ります。追い追い説明して参ります。縦型に反省論法として使う場合は既存の型の儘ではいけません。型を組替えなければ成りません。これが応用型に対して<原型>の四句分別・という事に成ります。それもこれから順を追って述べて参ります。


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