U 四句分別という論法

1 四句分別の起源と概観

(1)仏典は四句分別で出来ている

 四句分別という事は<一、有  二、無  三、亦有亦無  四、非有非無>という事でして、これは古代にインドで発生し発達した<論の一形式>であって、現在、インド哲学や仏教学を専攻した人々には、その存在は常識に成っている筈の事柄です。

 この章では四句分別を論ずるのですが、その目指す所は空仮中をこれで<形式表現>する事が出来るか否か・という事です。という事は、空仮中の内実を離れて尚且つ言語表現として形式上の表現をする事が可能かどうか・という事です。

 ですから空仮中の内実に就いては、別に経や論や釈に依って会得し理解して頂かないと大変な誤りになる事を予め断って置きたい・と思います。従ってこの章での話の主な筋道は<表現論にすぎない>と受取って頂さたい訳です。

 解りました。その線に添ってなるべく空仮中の内実から離れて質問を出して参ります。形式表現とは、数学での常数K・円周率π(パイ)などの様に、内部脈絡だけは持っているから数値は与えられるが、指示する<内実を持った対象>はまだ持たない表現……この様な表現の事ですね。論理学での記号式もそういう表現です。こういう形式科学的側面から空仮中を端的な型で示せるかどうか・という事ですね。

 そうです。仮空の形式表現は昔から<仮=有><空=非有非無>という形式表現が示されていましたが、私が見た範囲では、これに相当する<中>の形式表現は見当りませんでした。

 然し私の調べでは<中>の形式表現は<亦無亦有>(非無非有そして亦無亦有)として提示出来るし、<空>に就いても<亦有亦無>というもう一つの表現が成立する・というのが結論です。この事の筋道をこの章で明らかにして行きたい・と思います。

 仏法は釈尊在世の昔から今日迄・二千五百年間・一貫して反省自覚智法であって、これ以外の何物でもありませんでした。教の言説の模様は変り、立行の仕方は持戒−禅定−読謂−……−唯信受持一行と変っても、教行共に反省自覚智法という骨格は不変でした。この反省自覚のオルガノン(道具)として論理面(論法面)で用いられて来たのが四句分別でして、この事が見逃されるのは非常に残念なのです。

 四句分別というのは、古来、インドから在りましたし、天台も大いに受用しております。明治以来の日本の仏教学関係者の中にも、四句分別の研究を試みた人が幾らかは居ります。現在では中村元教授や梶山雄一教授などがそうです(中村元著作集第十巻所収「空観の記号論理学的解明」・『空の論理<中観>』所収「「瞑想と哲学」梶山雄一)。然し<反省自覚智法としての四句分別>というのは初耳です。

 仏典の論法は皆・四句分別で出来ています。釈尊や竜樹・天台といった人達が用いた四句分別に就いて重要な事は<反省自覚法>としての縦型の四句分別だった・という事です。但そういう名前が無かっただけです。そしてこの章で述べる所は、反省自覚法としての四句分別はこうでなければならぬ・という私の試論な訳です。

 という事は、古来の一様式に執著する事を廃め、インド古来の習慣的使用形式を組替えた・という事です。ですから私論であり試論であり、所謂(いわゆる)”敲き台”として述べよう・というのです。仏法を捩曲げるのは破法・非法に成りますが、四句分別は仏教以前からのもので・仏法そのものではありませんから構わない筈です。

 一般に現代の仏教学は、インドに植民地を経営したイギリスの学者の手で主に開発され、これに西欧各国の学者が加わり、明治時代から日本でもそれが移植され発展して来ました。ですから初めは当然・西洋式の考え方で仏教が論じられた訳ですが、仏教はそれでは捉えられない仕方と思想とを持っていますね。ですから我が国の仏教学も今では随分変って、日本式に変質して来ている・と思います。

 そうなのです。学問としての仏教と信仰としての仏教とは随分違います。四句分別はその代表的な面の一つに挙げて好い・と思います。天台も竜樹も盛んに使っております。当然・経文にも沢山出て来ております。寿量品の「非実非虚・非如非異」などがその例です。但しこれは応用型としての一例です。

 竜樹の『中論』は読んでもさっぱり判らない・と言うのは誰でも言う事です。何しろ大学で教わった事も無い形の述べ方で書かれているのですから、判らないのが当り前ではありませんか

 『中論』は空の論法で縁起中道論を展開したものですが、西洋の仏教学者やその流れを汲んだ日本の学者の人達の中には、竜樹の論法は帰謬法だ・と言っている人が居ます。それで『中論』には失敗も間違いも有る・と言っておりますが、それはどうでしょうか……。土台、竜樹は<二者択一>は全く信用しなかった人です。

 帰謬法というのは、任意の二判断Pqとが有って、Pならば〜qqでない)、且つ、〜Pならばqである時に、Pが真である事を証明するのに「〜Pが真であると仮定すればqが真である、所がqは真ではないので〜Pは偽である。故にPは真でなければならない」と間接関係から証明する方法です。この論法だ・と言う訳ですね。これも二者択一論法の一つですが……。

 これは実は・時には文の表に現れている儘に帰謬法として見るからそう見えるのでして、偶然の一致が多いのではありませんか。竜樹自身は論じた事態を反省法で捉え且つ述べており、帰謬法という論理で捉えたのではありません。仮令偶然の一致ではないとしても、帰謬法は世間で使っているから時には便宜に従って使っているだけでして、彼はその反省思考の中心を四句分別で遣っているのです。具体的には二重の反省否定がこれです。

 意識的にもせよ、四句分別での反省思考を帰謬法という当時の仕来りに乗せただけなのですから、帰謬法上で違っているから間違いだ・と言うのは短絡です。それでは失敗で誤解に終ります。四句分別での判断は帰謬法には乗せ切れるものではありません。帰謬法は模型の論理で、仏法に於ける原型の四句分別は縦型の反省論法です。竜樹は事態を反省論自覚法で捉え直した帰結を述ベているのです。

 その様に言うと必ず誤解と反論とが有る・と思います。というのは『中論』を表面だけ読んで行くと、場所次第では、一句一句は帰謬法の様にも見えます。この意味では「帰謬法の法則に大体適っている」と言えるでしょう。

 それはそうでもあります。『中論』では確かに表面では余り露わには四句分別を展開する論法を言立ててはおりません。その辺は天台が『止観』などで「この乗戒に約して四句分別するに……」などと正面から四句を展開して言立ている論法の部分などとは違っております。要は内外勝劣(内道勝・外道劣)大小勝劣を述べたのです。

 では、『中論』の論法は帰謬法であって・帰謬法上間違っている・という誤解は、何処に誤解の根が在るのでしょうか。

 それは、帰謬法は二値論理の間接証明法であり、縦型四句分別の反省法は<三値論理に似ていて然も三値論理でもない>所の独特の反省論法であって、弁証法に似た所の在る反省法だからだ・と思います。要するに平面的な横型の論理と、立体的な縦型の論法との違い・から生じている食違いが、横型の論理を前提にしている人達の眼には「間違いだ」と映っているのだ・と思います。内外一致論者にはそう見えるのです。

 これから四句分別の内容へ入ろうというのですから、ここではまだ正確に述べて行く事は出来ないでしょうが、『中論』と四句分別との関係はどの様に成っておりますか。

 『中論』は彼の若い時の著作で破邪顕正の論書・だそうです。論破の相手は正には<我空法有>を主張するアビダルマ論師達(有部)で、”空を武器にその<著有>を破して<人法二空>を顕し、傍にはバラモンや六師外道達で、その<実体論>(有我論)を破して<縁起>の実義−縁起中道−を顕しました。有部は論蔵中心主義で極端な多元的実在論を主張した・のだそうです。

 『中論』は二十七章四百四十五頌(数は別のも在る)の句を羅列した形式で説かれているのですが、その問題とするテーマの捉え方が四句分別に拠る捉え方であり、問題に就いての基礎思考の進め方が、四句分別の主に<非有非無−空>(元々では第四句、整足後は第三句。後述)に依って進められております。「四句分別をする」と明言されていないだけです。詰り四句分別が『中論』の各句への思考を推進する伏在力で、表現もそうで、それが陰に回って顕在していないから見落されるのです。それで・帰謬法だ・と言われ、この見掛けだけで批評される・のでしょう。

 『中論』は四句分別だ・というその実例はどうですか。

 論理学論理としては矛盾律違反で成立しない言方を堂々と述べ立てて居ります。例えば「縁の討究第一」の第一句「(人の行業果を生ずる)作用は縁を有するものでもなく、作用は縁を有しないものでもない」……これは文面は推理操作による叙述判断と全く同じですが、「作用は縁を持つか否か」に就いて<非有非無>と反省判断をしております。この非有非無は四句分別の重要な一つなのです。


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