(2)二境智即一の智法を<中>と言う

 三諦の順序の取方に就いて、今迄論理面から論ずる場合には、仮空中・仮空中と述べられて来ました。成程・仮は<有>・空は<非有非無>・中は<亦無亦有>ですから、<有(仮)>が最先に決らないと<非有非無(空)>も<亦無亦有(中)>も定め様・論じ様が有りません。

 この論法的な双遮の観点からすれば、三諦の記述順序は必ず<仮空中>という順序に成らざるを得ません。然し仏法では全部<空仮中>という順席に成っております。初歩の問題ですが、この辺はどう理解したものでしょうか。

 或る御僧侶が「仏法は空から始るのだから空仮中という順席が正しい」と言って居られました。その通りだ・と思います。仮ばかりですとこれは世法だけでしょう。空迄来ないと仏法には成りません。空仮を定めて中が顕れますので<空仮中>です。

 それで、仏様の化導の方からすると、一切を中道から照らして又<仮諦>のなかの世俗仮へ下りて来ているのですから、この立場では中空仮の順序に成っている・と言うべきです。これを受けて修行する衆生の自行の場合は、仮を反省して空へ達し、次に空から再び仮を見返して、これに依って空仮の内実を定めて中へ達します。それで衆生の自行の場合は仮空・空仮中の順序に成っている筈です。

 円融三諦に成れば、元々円融三観とは<一事態に就いて空観・仮観・中観を一時に施して一時に三諦を得る>という不思議な修行法(止観行法)です。三観を同時に遣って同時に三諦を得る方法ですから、どれが先どれが後・という順序など在ろう筈も無く、三つ一緒な道理です。

 円融とも成れば一緒ですから、固定化した順序が在ったら却って叛く事にも成ります。ここを心得て仕来り通りに空仮中という記述順序に従っていれば好い・と思います。

 『中論』だけで見る限りは仮→空→中と行く次第の方向だけに受取られたり、仮→空・空→仮と・仮空の間だけ往復している様に受取られる危険・などが有りそうです。

 それでは困ります。既に悟っている竜樹は教主釈尊の代理者として、中→空→仮と双照した立場から発言しているのです。勝義の立場に立つならば、<空>という反省判断の仕方がまず立つでしょう。それなのに竜樹は「その空は相待の仮説である」と、中・中心の立場を明示して「空即中道なり」と言っています。「一切法皆空即是中道」という様な言方です。

 けれどもその<中道>という事に就いての議論は、『中論』のなかでは一つしか在りません。般若部に従(よ)って<空>を<表>に立てた人ですからそれで宜しいのでしょうが……。空が中の説明と反省とのオルガノンだ・という事は、『中論』だけ読む人には必ず見逃される・と断言しても好い程だ・と思います。

 ですから順序を立てて言いますと、文面では省略して言表はしていませんが、<無常>という眼前の事実を主語に掲げたのですからこそ<縁起>という比量が出て来た訳でしょう。そこでまず世俗の虚妄仮有の<仮>から始ります。

 この世俗<有>が<縁起>である事を根拠として<仮有>という事実が述べられ、次に<縁起>の故に自性無し<無自性>(比量)なり(一例 人造自性は有得ず、人造ダイヤは堅さがダイヤの自性ではない事を示す)と推論し、これで六師やバラモン流の実体常住論が崩れる訳です。ここ迄来れば、それは既に俗諦ながらも仏法者としての悟りの一分でもあります。そしてその儘バラモン・六師気触(かぶれ)に対しては破折です。仏法の修行者に取っては正分別・真分別でしてこれは実語です。

 堅さはダイヤぐるみ作られたものでした。ダイヤは無自性空でした。ここで「一切法皆空」と言って黙ってしまっては化導出来ないので、又化導の為に世俗の仮へ帰って来るのですね。

 そうすると、一番最初の出発点の仮は、世間では元々・単純なる実有・と考えていたものです。所が、仏様が一連のそういう反省と思索と説法とを通じて・再び衆生化導の為に仮諦の世界へ帰って来て説いた時の<仮>は、単純な有ではなくて<無でもあり有でもある>という有なのです。実有としては無だが実有に非ずして有るからです。仮の持つ有の性格が変ってしまっているのです。

 そして、心は仏法に置き・身は世法に置く。悟りの心は仏法のなかに置き、世俗の言葉・世俗の実例・世俗の法則等・そういうものを駆使して説いたのが<説法>で、その残った記録が<経文>です。こういう風に、仏法の領域から、仏法と世法との両方へ袴って一つに纏めた所が<中><中道>なのです。竜樹も仏様と全く同じなのです。

 そうしますと、仮としての対象そのものは元々一つな訳ですね。

 その一なる対象を観ずる心(智)が違っている訳です。<境>そのものは<一>でありながら、それを観ずる心(智)に於いては<縦型二境>に成っている訳です。客観対象としては<一>ですが、衆生と仏様との感じ方・見方・受取方・観法の上からは<二境>に成って、境域が二つ(累重)……虚妄仮と建立仮との二つに別れているのです。

 そこに出て来るのが敵対相飜で有名な反省の<即>という考え方で、<二境即一>なのです。境は智で掴まえましたから<二境智即一>なのです。仏法は常に智法中心です。智法の為の境法以外、仏法は境法など説くものではありません。だから仏法を存在論化するのは大非法なのです。仏法は智法なり・です。存在論は必ず三人称世界の論・仏法は心ず一人称世界の論です。

 仮論のそこの所が竜樹に言わせると<不一不異>の問題に成りますね。

 <不一不異>が<二境智即一>の端的な表現で、この不一不異が八不中道のなかに無ければ、<即>という事は出て来ません。単なる<空>から<即>は出ません。この<二境智即一>なるを<中>と言う事から、<不一不異>を<中>と為す・という事にも成るのです。そうすると今度はこれに従って、八不の八つが皆<中>に成ってしまいます。八不は是れ中道なり・と言うのはこの事なのです。

 そこで竜樹自身が、又は彼の意を体した弟子が、『空道』と言わずに 『中道』と命名した訳ですね。

 と言っても、勿論・言迄も無く、竜樹が釈尊とは別な新説を立てた・という事ではありません。成長発展説ではありません。阿含部のなかに既に充分にそういう風に成らざるを得ない下地が山程有ります。準備はとっくに済んでいます。

 ですから竜樹としては、空と中とを表裏に考えて、特には区別していなかった・と思います。自身の自覚のなかでは、空は中からの施設である・と<空即中>という事だったのでしょう。何故表現として<中>が明確な形で表現されずに<空>の方を表に立てたか・と言うと、それは当時の宗教界の事情に由ったものでしょう。時と機とへの相応の問題です。

 当時の事情・と言えば、仏教は上座部・という専門家と一般大衆とが遊離していた時代です。上座部の有部は<法有>という有論に片寄っていた時代でした。こうなると仏法の初門から遣直しをせざるを得なく成ります。仏法の衰弱が大乗という大衆運動を引起す事に成り、そのリーダーに竜樹という”革命家”を生む事に成ります。

 初門から遣直しをすると成れば、世俗の仮有を再び問題にせざるを得ません。『中論』では正(まさ)しくその事をした訳です。元意を差置いて直接の話で行けば、『中論』は『大般若経』の思想をその儘述べているのですから<空>が表立つ訳です。

 『大般若経』は空を説くばかりで、中とか中道とかは出て来ません。出ては来なくても<著空の空>など説いているのではない訳でして、やはり元意は<中>から施設した<空>を説いている事に変りは有りません。

 そこを八不中道・と竜樹は言うのです。破折の相手が著有論者だから空で論破するのでして。<中>で論破しょうとしたら却って遣難(やりにく)く成ってしまいます。


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