(5)竜樹の武器・第三レンマ<空>

 兎に角、竜樹の論は<縁起>から始った訳ですが、『中論』を見る限りでは、徹底的に有を論破して「それは真実ではない、それも真実ではない……」とだけ言って終っている様にも見えるのですが……。「汝の大前提を放棄せよ」という本意さえも見えなく成ってしまいそうです。

 そうなのです。悟りに裏付けられた『中論』ではありますが、真実なるもの……詰り<中>ですが、<中>を解説的には説かずに、結論を<空>で締括ってしまっているのです。彼としては<中道>を悟り会得する為の般若の実践修行の勧めの方は『大智度論』その他へ回しています。

 その<空>が四句分別の第三番目(古式四句では第四番目)なので、第三番目ではあるが、四つの中では中核を成しており、竜樹は<空即中道>なり・と言っている訳です。空を説いて中道だ・と述べた事は、説いた空は皆・中道のなかの空だ・と言っている事です。中道の法性空です。

 詰り、天台流に言ってみると、<双照建立の空>だ・という事です。この事は<中核句>(後述)を見れば明らかです。ここを見逃すと既述の西洋の学者の様な形而上学論議などが出て来る事に成ります。『中論』ではこの双照空から、化他を行ずる為に双遮空を説いている訳です。

 では竜樹のこの空はどういう空ですか。折空や体空でない事は勿論ですが、又、般若空である事も勿論ですが、必ずしも明らかではない様な気がします。

 三世の諸仏の悟りは別に異りが有るものではなく、究極は同じでありますが、仏身やその説法(教)など・外へ現れて来る辺には違いも有る訳で、そこに<不一不異>な所が有ります。<一代経の脈絡>を知らないと<異>の辺ばかり見えて<一>の辺は見えない事に成ります。

 天台と竜樹とに就いても、結局は同じ悟りながら<不一>の辺も有る訳です。ここが外用の外用たる所以(ゆえん)というものです。竜樹の空は当然・般若空なのですが、般若部には化他の方便般若と自行の実相般若との二面が見られまして、竜樹の空は勿論その基本は実相般若空・詰り自行の実相空な訳です。その上で『中論』に見られる様な方便般若空を駆使している訳です。『中論』には勿論実相空も在ります。この両空の体は勿論二而不二の一・です。

 天台の空は、「方等般若に実相の蔵を説くと雖も……秘と為す」(『文句』)というこの『般若』に依る実相空を受継いで、更に突抜けて妙法の円融空へ達します。実相空の極致です。

 妙法の円融三諦迄来ると妙仮・妙空・妙中に成っております。ですから天台の円融三諦の円空は妙空です。では竜樹とは違うではないか・という事に成りますが、実はそうではなくて、竜樹の根底も妙空なのです。然し妙空である事を裏へ回して、表に幡印としては掲げていないのです。

 ですから実相般若空に留(とど)まった所から人々へ説き、この立場で『中論』でも『大智度論』でも論を進めている訳です。こうした所が二人の外用の差・というものです。御書に在る様に「機の前に教なし」(蓮盛抄)で、機根以前に予め教が出現する事は無いのです。

 その所をもう少し解説してみて下さい。すると、竜樹が空で説いた真意がはっきりして来る・と思います。

 当時の人達は・縁起法門に就いて<仮の有>の辺で低迷していた人々で、まず正しい空で導かなければどうにも成らない上座部の人達ですから、小乗大衆部後期の代表たる大乗の人・竜樹がそれをしたのでして、若しも人々が空を正しく得ていた人々でしたら当然<中>で説いて導く訳です。

 詰り<時>と<機>(機根)とが問題なのでして、機根も無い所へもっと高い教えが予め詳述される・という事は有得ないのです。<機・感・応・赴>とはこの事で、必ず衆生に合った教えしかその時代には説かれないのです。外用とはそういうものです。

 そこで竜樹も<中>は掲げただけで詳述はしていないのです。そうか・といって別に途中で放げ出した訳ではなくて、修行面では空を修行して中を会得させる様に仕組んである訳です。中は時が来て機が調えば説かれます。

 まさしく天台はそれをしたのです。天台当時の漢土の人々は阿含部の<仮の有>を研究はしていませんでした。竜樹時代の人々は<仮の有>を遣って居りました。これは機の差を示しております。<時>の差が機の差を導いたのです。

 漢土ではまず仏典の輸入から始め、翻訳と整理とに力を入れた結果、天台時代には、輸入した宗派は中観派・唯識派・ダルマ禅派など要するに大衆部系統の大乗各派ばかりで、上座部の派は入っておりません。この為に三論宗(中観派)・法相宗(唯識派)、それに華厳宗・涅槃宗といった中国仏教独特の宗派が出来ました。上座部系の倶舎宗は附宗としてその中で研究されただけで独立宗派には育たず、律宗も又同様でした。

 要するに漢土では元インド小乗大衆部系の大乗宗だけで占めた訳です。今の仏教学では、漢土では阿含部は軽視された・と言って居りますが、これは大衆部系の大乗仏法だったからで、ちゃんと時代相応の教法が立てられた・という理由が在っての事です。機教相応という事です。天台もこの相応した一人として法華宗を建てたのです。これが天台と竜樹との外用の差な訳です。要するに時と機根とが然らしめるのでして、これ以外に理由は在りません。

 外用は機に応じて決まる。衆生の機根に応じて相応しい化導が行われる・というのはそういう事ですね。又時に従(よ)る・という事もこれに含まれますね。

 御書に依りますと、撰時抄ですが「竜樹・天親等の論師の中に此の義ありや、答えて云く竜樹・天親等は内心には存ぜさせ給うといえども……」と言って、竜樹はちゃんと『法華経』を大事にしていた・と在ります。

 その事は『大智度論』百巻等に出て来るらしいのです。「般若波羅蜜は秘密(極意の事)の法に非ず、而も法華等の諸経に阿羅漢の受決作仏を説いて大菩薩能く受用す。譬えば大薬師等の能く毒を以って薬と為すが如し」と在ります。天親の方は『妙法蓮華経優婆提舎』(『法華論』)を著作していますから明らかです。

 その『大智度論』は『摩訶般若波羅蜜多経』九十品の詳しい註釈であり、『中論』で展開されなかった阿含部への積極的な開拓も行い、八不中道を以って一切の教法を統一理解出来る様にしたものだ・と言われます。

 この『大論』は単に註釈に留まるものではなく、もう一歩般若の真理へ突進んで行って実践を勧めたものです。修行論です。只、禅定堅固の正法時代ですから、般若の実践修行が表に立つのは当然です。目指す所は<中道の会得>です。

 又、一般には、これは大乗百科全書だ・という説も在ります。というのは、当時のインド文化諸学説を網羅して説いて在るからです。それで漢訳の時に羅付三蔵が大分削捨て、省略して十巻に整備した・そうです。今では本論の完本はインドにもチベットにも何処にも在りません。


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