5 『中論』のなかの四句分別

(1)不生不滅か不滅不生か

 中観派と唯識派とはインド大乗の二大潮流でした。竜樹は二世紀半ばから三世紀半ばの間の人で、唯識の大成者天親は四世紀の人です。そして竜樹の中観思想は・七世紀の月称を最後の光芒として・インドでは約四百年で亡んだ訳です。この間・及び後では中国とチベットへ移ってしまいますが、この辺から中国で三観思想が出現する頃までを通観してみたい・と思います。

 竜樹の弟子には直弟の提婆・青目(しょうもく、眇目。この人が直弟かどうか・は議論が分れる)・竜猛(この人は竜樹と同一視された事が多い)等という秀れた人達が居て中観派は栄え、又、中観派の末期には月称という秀れた人も居りましたが、中観派全体としては、中観(直接の表内容は空観)に執著し過ぎてその上へ進まなかったから亡んだのでしょう。インドの正法は唯識共々ここ迄で終りました。

 序でですが、この竜樹(古竜樹・150年頃〜250年頃)の他に、四百年位後の人として新竜樹(600年頃)が居りました。真言宗で崇めているのはこちらです。別人ですが混同される事も多かったのです。二人共・竜族の出身者だったのではないでしょうか。

 竜樹の場合は、外(敵者・じゃくしゃ)に対しては・論法の塊・みたいなもので、徹底的に相手を遣附けて、参った!と言う迄遣るのです。何しろ、相手のテーゼを破るのに、そのアンチテーゼも成立たせない・という遣方で破るのですから……。双遮で遮遺すれば有無二辺見はアンチテーゼも成立たなく成ります。その代表例が『中論』で、若き日の面目躍如としております。

 仏法では、論理と事実とが一体であって切離されていない・という事ですが、竜樹の場合は、どちらか・と言うと、論理の方が表立っている様にも見えますが……。

 ややもすると論理過剰・という気味が有りますが、これは『中論』での事で、『大智度論』その他では禅定修行を勧める等の落着いた方面も在りこれは別です。

 生々しい体験や自覚無しには『中論』は作れないでしょうが、『中論』に於ける生々しい所とは何でしょうか。色々在る・事とは思いますが……。

 竜樹の生々しい所とは、『中論』では主には・やはり<八不>を押通している所です。<八不>は原理上では千にも万にも亘るのでしょうが、この内・経の通りに八つだけ挙げたのでしょう。依文としては『大般若経』の初分「諸法平等品」に次の様に在ります。この品は差異諸法・八不・平等説を述べているのです。差異その儘に諸法平等・とは異・等・を兼備えた中道・という事を意味します。

 「若し菩薩摩訶薩般若波羅蜜多を修行する時、如実に一切の縁より生ずる所の法は、生ぜず滅せず断ならず常ならず一ならず異ならず来らず去らず、諸の戯論を絶し本性淡白なりと知らば、善現、是れを菩薩摩訶薩般若波羅蜜多を修行する時能く縁より生ずる所の諸法を学すと為す」

 これは明らかに・生滅・断常・一異・来去・の八不を示しています。本当は品題の「諸法平等」が<中道>なのですが、然しこの文の前後にも更には『大般若経』全体に亘っても、文面には中道という言葉も主張も出て来ません。この文は<縁起−八不−空>を主張しているだけで、中道や中観には文面上では隔絶しております。でも仏の常説中道の一面(空という一面)なのです。

 竜樹は空仮中三諦を主張した人でして、日蓮大聖人は竜樹・天親は一念三千を知っていたが表には言立てなかった・と仰せです。国訳一切経の『華厳部』の解題には「竜樹は法華の義に依って般若経の法門を解釈した」と出ております。般若部諸経に文字での中道論は無い・とすると、<中道としての>八不中道の依文は何処にも無いのか・という事に成りますが……。

 そうなれば『涅槃経』「師子吼菩薩品第十の一の四・不因不果中道」の「十二因縁は、不出不滅・不常不断・非一非二・不来不去・非因非果なり」の文しか在りません。この十不のうち非因非果は「不因不果中道」として既に標題に掲げられていますから文の内実は八不です。『大般若経』や『中論』の八不と一致しております。

 但し、竜樹は『涅槃経』の存在を全く知らなかったらしい・という説も在ります。国訳一切経『涅槃部』の解題などにはそう書いて在ります。その根拠は、現存している竜樹の著書の中に『涅槃経』を引用しているのが全く見当らない・という点に在ります。

 然し『玄義』には「世人伝うらく、天親・竜樹は各・涅槃論を作ると、未だ此の土に来らず」と在りますから、竜樹が『涅槃経』の存在を知っていたか知らなかったかは、勝手に極付ける訳には行きません。

 竜樹は、本地は法雲如来・とされ「寿命三百年、三十万偈の論師なり」(釈迦一代五時継図)と伝えられた程兎に角長生きした人で、百歳は優に越えたのでしょう。著作も驚く程多種多量で、その中には失われてしまったのも多く、本当の事情は不明です。

 有名な八不中道の第一句ですが、現在では「不生不滅」という本と「不滅不生」という本と、漢訳及びサンスクリットからの直接和訳とでは二つに別れております。同時なのだから、どちらが上でどちらが下でも好いのでしょうか。某大学の或る教授は、『大般若経』も『中論』もインドの古本は皆「不滅不生」に成っている・と言っています。

 結果から逆次に辿ればどちらでも宜しいのでしょう。然し、どちらが優れるか・となれば<不滅不生>の方が遥かに優れます。インド古本『大般若経』と『中論』とは皆「不生不滅」に成っているのであれば、この点に関しては漢訳者の大きな失敗であった・と思います。

 『中論無畏註』現存最古(現存最古かどうかには異論も在る)と言われるチベット語版がそうである様に、『中論』の場合は「不滅」の方が先でなければ可怪しいのです。「不滅不生」でないと、ちょっと筋が通らない感じなのです。「不生不滅」でも「不滅不生」でも、同時なのだから好いのではないか・という考えには賛成出来ません。

 漢訳『大般若経』では「不生不滅」の順ですが、『中論』はいきなりこれから始る出発点ですから、自ずと意味合が変ります。というのは、世俗では<生滅>と言うでしょう。その二番目(下)の滅の否定から始らないと、論としての否定の意義が通りません。

 時が同時である・という事と・思索の根拠や順序のどちらが先であるか・という事とは・違う問題ですね。論の出発点である面と、論の途中に出て来る事との違い目も、注意して取扱うべきだ・というのは良い事だ・と思います。言う内容が変って参ります。

 普通は「生滅」・この否定として「不生不滅」・と書きます。所が『中論』の原典では「不滅不生」と書いて<滅>を先に立てている訳で、インドの『大般若経』がそうである様に、能(わざ)とそうしたのでしょう。古式四句分別では<有>が一番先で次が<無>です。それで<不滅>の方は<有>で<不生>の方は<無>でしょう。だから『中論』もこの順序に法(のっと)っている訳です。

 この見方は、適(たまた)ま合致したのだ・と反論されないとも限りません。私は法っているな・と感じます。然も単に順序に法っているだけではないらしいのです。詳しい事は判りませんが、この「不滅不生」は「因中有果の自己内原在論等は誤りだ、滅しないのがどうして生ずる事が有ろうか、有から・現存しているのが更に生じたら二生で理に合わない」という論法なのです。

 これは又、諸行は無常で生滅する・という世俗の認識(迷見・偽見)に対して「皆は生滅する・と言うが、生事は滅しない(不滅)し滅事も生ずる事は無い(不生)、同じく万事(諸行の如体)万法(有を有たらしめる如法法理)は不滅不生だ」(正見・真見)と反省論を述べたのです。詰り、生滅見に対して、その奥の不生不滅見を言立てたのです。この点に就いては既に<涅槃経に就いての理解>の所で済ませましたから、ここでは再説しませんが大事な事です。

 己心法界の諸法は自からも他からも自他の二からも無因からも生じはしない……この<話法>は現量ではなくて・既に竜樹に反省された思量仮としての<諸法(の法性諸法)>です。この「不滅不生」は何処へ向けた論法か・というと、有部の有論やバラモンや六師外道の実体論に対する議論でしょう。有論・実体論に訂正を要求しているのです。<推理推論の破棄>を要求しているのです。


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