(5)『法華経』の特殊性――大綱と網目

 『法華経』は特殊な経文であって、一切経の中で特別な位置を占める……という話でしたが、この事は仏教学者が最も毛嫌いする話です。天台宗ではそう言うが……と・天台の主張としては認めるが仏教学は立場が違うのだ・と称して『法華経』自体の特殊性の方は認め様と致しません。これは大事な事ですから荒筋だけでも取扱って置く必要が有る・と思います。

 この様な仏教学界の相当数の風潮と、この態度から出て来る色々な学説とが、結果として今の各宗各派を喜ばせ、百万の味方を得た様に思わせている訳です。元々各宗各派が今の様に独立した教団に成ったのは、平安期から鎌倉期に亘った長い間を掛けてでして、元々・華厳宗・法相宗・倶舎宗・などと言っていた時代(奈良・天平・白鳳・飛鳥など)の<宗>はそんなものではありませんでした。

 出家して同じ寺の中に住んで居ながら、その中で華厳の経と教理とを研究するグループが華厳宗と称し、唯識法相を研究するグループは法相宗と呼ばれ、詰りは同じ仏教教団内の<学派>(研究学派)を<宗>と呼んで居たのです。これは今の大学の文学部内の英文学部(科)・仏文学部(科)の様なものでした。一新聞内の社会欄・政治欄の様な違いです。

 昔の中国でもそうでした。天台大師の頃の、揚子江(今の長江)を境に存在していた南三北七の十派もそういう<宗>でしたし、日本の南都六宗もそうでした。ましてや昔のインドの有部・経量部・大衆部・などや・中観派・唯識派・なども皆そうですから、宗とは呼ばずに<部>とか<派>と呼んでいます。仲間内としての差異です。

 この様な宗ですと、どの寺でも渡り歩いて一寺院内で同じ釜の飯を食い、同じ一切経を学び、交流しながら、その中でも特に”専門課程”として倶舎論を研究し修行したグループ・が倶舎宗と呼ばれ、自分の方でも・倶舎宗徒だ・と名乗っていた訳ですね。

 そういう事です。ですから同じ寺で出家の認可(年分得度)を受けて、同じ寺で……同じ戒壇で受戒して、同じ寺で僧階・僧位を認められた人達であって、異教徒ではない訳です。それが、研究した宗義を披露し合って、宗義の優劣を論じ合っているうちに、感情的に抜差しならなく成ってしまい、遂には同宗徒が同志を組んで寺を飛び出して、新しい寺に立て篭もる様に成ってしまったから、今の様な各宗各派に成った訳です。

 こうなると、自義を固執して排他主義に成らざるを得ませんから、道理に従う態度など消飛んでしまった訳です。今では自義を反省再検討する気など更々無く、憲法に依る思想信条の自由の保障を隠れ蓑(みの)にして、只ひたすら宗義の宣伝だけをしている訳です。

 こう成ると、仏教学界側の<一切経平等説>乃至そう取扱いたい態度は、結果として各宗派には味方だ・と思わせる事に成ります。『法華経』の特殊性を認めない事も各宗各派を喜ばせます。逆に、この経の特殊性を言う事は、各宗派と仏教学界とでは嫌われる事に成ります。

 その嫌われ恐れられる所に『法華経』の真骨頂が有ります。この事は『法華経』の中(勧持品・不軽品等)にきちんと示されています。勧持品の二十行偈などがそうです。『法華経』の特殊性は、反感を買い嫌われる事を承知の上で述べなければ成りません。

 まず、一切経中に於ける『法華経』の位置は「法華は衆経を総括す」(『玄義』)という事でした。一切経の中心であり要(かなめ)であり一切経を統(す)べている・という事です。この事は諸経・法華経の諸文を・挙げて検討した上で言われている事です。『法華経』は根と幹とに当り、諸経は枝葉に当り、全体で”一本の大木”を形成しているぞ・という意見です。

 仏教学の立場ではまずこの事に異論を持つ訳です。「諸経の成立を調べてみると、釈尊の直接の説法・と言えるのは阿含部諸経だけで、これは阿難以来・上座部で代々アーガマ(阿含の事、唱伝の事)をして来たのだから間違い無い。中国仏教での阿含部軽視は嘆かわしい事だ。後は華厳も方等も般若も法華も涅槃も全て、ずーっと年代が下ってから成立した経だから釈尊の説法で(ある証拠)はない」と言う人が出て来る訳です。これが<大乗非仏説>です。

 こういう大乗非仏説に成ったり、そこ迄は言わないが、大乗小乗の区別は後代に作り出した話で、釈尊はそんな区別など述べてはいない、大乗経典に出て来る「大乗」の語は後人の追加だ・とか、諸経の優劣は、過去に立てられた教相判釈を離れて、現代の発達した学問の眼でもう一度新しく樹立し直すべきである・とか、色々な意見が出ている訳です。

 これらの意見を検討してみて、正しかったら私達も聞容れ受容れなければ成りません。徒らに宗派根性に囚われていては真の仏道修行には成らなく成ります。

 逆に、天台の意見が正しかったら、学者の先生達の方に受容れて貰わなければ成りません。これは信仰するしないには関らない事です。

 まず、天台の意見を明らかにしたい・と思います。

 天台は「此の(法華)経は唯如来説教の大綱を論じて網目を委細にせざるなり」と言い、妙楽は「皮膚毛綵は衆典に出在せり」と述べております。『法華経』は大綱詰り成仏への大直道だけを論じて、細かい理論や前提知識は述べていない・それら(皮膚毛綵)は諸経の方で分担しているのだ・と言っています。

 ですから「法華は衆経を総括す」という立場に位置している・と言うのです。「法華経は……遍(あまね)く諸経を括りて備(つぶさ)に一実に入る」(『弘決』)というのも同じ事を言っております。注目すべき事は、諸経は一実ではなく『法華経』だけが<一実>だぞ・と言う点です。

 そうすると、『法華経』から切離されてしまった諸経では真意が判らなく成るし、諸経から切離された『法華経』では、真意が在る事は判る・としても、その真意の<何事であるか>は判らなく成って、勝手な解釈が流行ってしまいます。事実、今迄の仏教界の実状はそう成っております。

 ですから「法華経は爾前の経を離れず・爾前の経は法華経を離れず」(十法界明因果抄)なのです。一切経間の脈絡を失ってしまったら、一切経は最早一切経の役割を果たさなく成ってしまいます。学究の対象には成得ても得道のオルガノンには成りません。どの経文にせよ、それぞれの経典にはそれぞれの役割が在るのです。この役割は<一切経全部の脆絡の中>に在ります。


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