4 因明と四句分別との変遷

(1)竜樹以前と竜樹以後――古因明から新因明へ

 これ迄四句分別に就いて色々調べて、西洋の論理学や弁証法と対比した検討も大体済みました。然し四句分別と同じインドの・時を同じくして用いられて来た論理学である所の<因明>(いんみょう)の話、及びこれと四句との関係の話はまだ済んでおりません。両者は相互補完の関係に成る・と思います。

 末木先生の『論理学概論』に依ると、「因明とは原因を明らめる学の意で、この原因とは論理的根拠を指し、因明は知識の根拠を探る学つまり推理論である」(取意略出)と在ります。因明は推理論だけであって判断論(命題論)が欠けていて、論理学としては不充分・だそうです。兎に角非常に古い時代から徐々に発達して来たもの・だそうです。

 その「判断論が欠けていて不充分だ」というのはどういう事ですか。

 古・新共に判断論が欠けているのですが『概論』ではこう言っております。「判断(分別)は知識そのものであって、その源ではなく、知覚(現量)と推理(比量)は知識の源であっても知識そのものではない……論理の研究を推理だけに限るのは当を得ない。何故かといえば、知識そのものたる判断(分別)も脈絡をもっているのであり、その脈絡が論理にほかならないからである」……こういう事・だそうです。

 という事は、命題論が欠けているから、因明からは記号論理学を生み出す事が出来ない・という事に成りますね。

 そう成ります。『概論』では「判断論(命題論)を無視したために論理の根本が定まらず、それが合理的思考の充分に成長しえない原因となるのである」と新因明に就いて述べております。

 因明には古因明と新因明とが在り、竜樹の時代はまだ古因明でした。竜樹から大体二百五十年位後に、唯識派の陳那(又は陣那・じんな、ディグナーガ。大体400480年頃の人)に依って新因明が始ります。

 何処の世界でも論理学は無くても論理や論法は在るものです。インドでも仏様以前から四句分別は在りましたし、論理も又在った訳です。それが段々と自派の主張や弁明の為に、論証的な論理思想を必要とする様に成り、古因明が生れた訳です。古因明の成立は、どんなに古く見積っても、仏様のあと三百年後から先へは逆登らない・との事です。『事典』には「比論(類推)的性格が強く、論理学的な価値に乏しい」と書いて在ります。

 末木先生に教えて頂いた所、因明は相違論(矛盾論)が最先に来て重視され、西洋の論理学では、矛盾論は結論として一番後に述べられる。この点に両者の問題に対する<関心の持方>に大きな違いが有る・との事でした。成程アリストテレス論理学では<虚偽論>は最後に述べられていて、私も大学では一番終りに講義を聞きました。

 古因明は類推法で余り役に立たないから新因明が生れた訳です。この新因明は現在、チベットのラマ教徒の間では必須科目に成っている・そうです。この陳那の新因明は演繹法です。共に仏法論理学です。

 古因明から新因明への展開に際しても、やはり経験に即した論理、体験抜きではない論理で、事実と理論とをなるべく分けないインド人の特徴が有る・と思います。何処迄もそこに人間が付いて回っている訳ですね。

 陳那自身にしても唯識の世界に生抜いた人であり、中観派の主張も充分頭に置いて反省修行をしていた訳ですから、純論理に徹するのが仏法の行方だ・などとは言っていません。彼の目指した所はやはり解脱です。その上で仏法理解の思考の手投や・法門流布の手立として因明に打込んでいたのでしょう。体験に即した論理を重視したのは当然だった・と思います。

 古因明は最早無用で新因明だけで好い・と言われております。その新因明も又現代では、記号論理学に取って代られて、不用だ・とされております。簡単に振返ってみて下さい。

 振返りは次項に纏めて致します。因明は、判断論を欠いた推理論だけですので、形式化する事には無理が有り、又、因明には人間が付いて回っておりますから当然現象も付いて回り、この点からも今の記号論理学の様な抽象化・純粋形式化へは進みませんでした。

 それでも、古因明は五分作法・新因明は三支作法・という定型は決められ、この意味の枠内で形式化された事は認められます。その用途は「因明の道理は外道と対す――推理であって反省ではないから対外道用でしかない――多くは小乗及以(および)別教に在り……接引門なり……邪小の徒をして会して(聖俗の)眞理に至らしむるなり……之を執著すること莫(な)かれ」(『徴佗学決』伝教)と在る通りです。

 新因明は陳那以来の成行で、多く唯識派に伝えられ研究されたが、余り長続きせず、後年、新因明や四句分別の研究は、インドでは正理学派(ニャーヤ派)やジャイナ教徒に引継がれた・との事です。「諸法は現量に如かず」と言う通り、論理よりも現実重視と反省とが仏法の行方・という訳でしょう。

 陳那・陳那と彼にばかり注目が集り勝ちですが、古くから外道側でも研究し、仏教側でも弥勒・無著・天親等が研究を続けて来たから陳那の出現が有る訳です。弥勒の『瑜伽地師論』の中に在る論理学説は<七因明>と呼ばれていた・そうです。仏教徒(そして一般)の間では、インドの学問一般を分類して<内明・医方明・因明・声明・工業明(王巧明)>の<五明>とし、その中でも陳那以降の新因明は<仏教論理学>として位置付けられた・という事です。

 注目すべき事は、この論理学の”大将”である陳那が「認識形態としての<比量>を仮幻なるものと断定」している事です。論理学である以上は現量よりも比量の方が大切な筈です。それなのに彼は「無分別現量(知覚してまだ意識していない前を指す・実存)だけが実在に即した認識である」とし、「諸法は現量に如かず」(真言見聞)はここを踏まえているのです。「比量は仮のまぼろしだ」と言う陳那は、決して仏道修行者の道を踏外してはいなかったのです。分別虚妄も重々承知の上だったのです。剰(あまつさ)え・虚妄分別として取扱っています。


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